2016年11月8日火曜日

汚い字

キレイな字を書くことは良いことですが、日本でキレイな字に慣れている私は、こっちの人たちの書くアルファベットが解読できないことが多いです。もちろん字なので、それぞれクセがあるし、そのクセに慣れていないだけだと言われればそうなんですが。でも少なくとも私がアルファベットを書くと、こちらの人に少なからず、キレイだね、丁寧だね、と褒められます。

だけども、私はキレイな字に慣れていて、キレイな字を書けるがゆえに、こちらの人の字が読めない、というのはかなり不便なことです。


話が変わりますが、ブラック企業とか過労死とかの問題は、もちろん企業が明確な加害者だと思うし、その体制を見直す必要があると思います。だけど、今の日本には、自殺に追い込まれるほど働いている人が少なからずいて、その予備軍がまた数十倍いて、つまりはそういった企業がとてもたくさんある。1つや2つの企業の問題であれば、その企業が徹底的に糾弾されて体制改善をすれば解決すると思うんですが、そうではなく、たくさんの企業がブラックになっているのは、そうならざるを得ない要因が他にあるということ。何が言いたいかってゆうと、企業へサービスを求める、私たち消費者の問題でもあると思うわけです。

日本は、おもてなしの国だとか、マナーが良いとか、礼儀正しいとか、そうゆうところが対外的な美徳となっていると思います。大いに結構で良いことだと思います。


今滞在しているゲストハウスのスタッフたちなんて、レストランの机で昼寝してたり、お客さんのまえで商品をつまみ食いしてたりと自由です。夜中まで大音量の音楽で楽しんでいるかと思えば、朝6時くらいから大声でおしゃべりしています。水が出ないよ!湯が出ないよ!とか苦情ゆっても「どんまい、どんまい」て感じで謝罪はありません。平然と「うちの問題ではなく、この地域の問題なのよ」と言い返されます。と、日本で得られうるサービスと比較すると不満だらけなわけです。

で、私自身は、こういう不便さが、さほど気にならないのですが、その理由を、「日本とケニアは違うから」で片づけているだけでは不十分かなと思います。それでは問題の外部に解決策を見つけているだけだからです。そうではなくて、私自身のうちに起こる他者への寛容度の変化を大切にしたいなと思います。


そうゆうわけで、字の話に戻りますが、自分の字がキレイだからといって、他人の字を汚いと馬鹿にしたり、他人の字が読めなくなったりしているようでは、せっかくのキレイな字も美徳ではなくなってしまうように思うのです。

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