2016年10月14日金曜日

ハランベー

今日はムソマでハランベーに参加してきました。

「ハランベー」というスワヒリ語は、英訳・邦訳が難しいのですが、ケニアにおいて重要な意味を持っています。独立後の初代大統領ジョモ・ケニヤッタ氏はハランベーを国民統合と国家建設のためのスローガンとして掲げたほどです。

一般に個人レベルで「ハランベー」をやるときは、まとまったお金を集めたいときです。例えば私の知ってる例では、手術代、学費、交通費、などがありました。ある家庭でハランベーをやると決めたら、家族や親族がそれぞれ「ハランベー招待状」なるものを自身の知人や友人にたくさん配ります。基本的には、「ハランベー招待状」をもらったら、(代理を立ててでも)開催当日に開催場所に行く必要があります。どれだけの金額を拠出するかは自由ですが、たとえわずかでも、そのときその人が貢献できる額を出すべきとされています。そしてそれらは全て帳簿に記録されます。

ハランベーは、「助け合い」とか「自助努力」とか、ケニア社会に息づく「美徳」として語られることも多いですが、人によっては、汚職とどっこいどっこいだと指摘します。例えば、ハランベーの主催者が、地元の有力者や政府関係者などであった場合、「見返り」を求めてハランベーに参加する人がいます。これを「汚職」と表現するのが適切かは分からないですが、こちらでは、「汚職(corruption)」とか「賄賂(bribe)」は、かなり広い意味で使われてると思います。

私も詳しく分かっていないですが、ハランベーはリスクヘッジの側面が強いな、とは思います。他人のハランベーに参加するのは、もちろん助け合いの精神もあるとは思いますが、自分が主催するときに誰も来なくなったら困るからです。予測できない将来の緊急事態に備えて、少なくとも現在貢献できる金額があれば、他人に貢献しておくのです。

こちらのママが以前ハランベーについて指摘したのは、「ハランベー集団の階層化」です。従来のハランベーには、経済力の異なる多様な人が参加し、それぞれに出せる金額を拠出していた。しかし、近年では、例えば貧乏な人の主催するハランベーにお金持ちが来なくなった、とのことです。まあ、「どうせこの人、私がハランベーに招待してもちょっとしか出してくれないだろうな」と思った金持ちが、より見返りが期待できる他の金持ちのハランベーに参加する、というのは冷たいけど合理的です。「金持ち」といえども、相対的なものであって、それなりに大変だからです。ただ、このように、貧しい人は貧しい人で助け合い、豊かな人は豊かな人で助け合う、という助け合いの階層化が進むと、農村に息づいていたはずの「より多くを持つ者が、より多く出す」という公平性を創出するメカニズムが機能しなくなり、結果として階層間の差、すなわち格差が拡大するのでは、と感じます。(専門的なことは分からないので、あくまで印象)

そうなってくると、政府主導の公的な福祉政策の整備が進まないと立ち行かなくなりますね。


と、前置きが長くなりましたので、今日のハランベーの内容は明日更新することにします。

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