2016年11月22日火曜日

まとめ

暑すぎる日本の夏から逃避するようにケニアに到着したのが8月21日でした。
この3か月、自発的に始めたわけではないブログを、意外とマメに、そして楽しく更新できたと自分でも感心しています。


ざっくり感想を書くと、

人々は生々しく、損得を意識しながら人間関係を構築しているんだな、と思いました。

人類学者の方が、「セルプヘルプ世界は、けっしてきれいで調和的なものではない。それは善意と狡知が交錯する闘いの場」(松田1999: 50頁)と表現していました。

研修を通して、ADEOスタッフも、ムソマの人たちも、私自身も、それぞれの損得や思惑を持って、打算的かつ合理的であろうとする態度が印象に残っています。

だけど同時に、助け合おう!今より豊かになろう!という自助グループや、NGO、政府関係者の強い気持ちにも触れたような気がします。「私たちの国は成長中だ」と語る彼らは、具体的に考えて、具体的に行動している。


私がもともとケニアに興味を持ったのは、この人たちと何かできるようになりたいな~という憧れからだったので、協同でプロポーザルを作成できたのは良かった。これまでの渡航では、何かを教えてもらう、ことはあっても、一緒に作る、といった双方向の作業はしてこなかったんじゃないか。この双方向の作業にあったからこそ、互いの損得を意識した。


そんなこんなで今日で更新は最後です。
くだらないことばっかり書いたと思いますが、こっちで感じたことを率直に書きました。

かといって、ブログは人に読まれることを前提に書いているので、ここに書いた内容は、しょせんは建前かもしれません。曲がりなりにも社会的立場や羞恥心があり、腹黒い本音を全てさらけだすわけにはいかないのです。ともあれ、嘘は書いていませんので。本音のなかでも綺麗なところを描いた感じでしょうか。


ケニアにはまた今後も通いますが、そこで感じたことや考えたことは、また別の方法や媒体で発信していけたらと思います。早速に、今週末は学会発表です( ^ω^)・・・(準備できてない)。


今日まで、この読みにくいブログを読んでくださった方々、お付き合いいただき誠にありがとうございました。

2016年11月19日土曜日

平等性と公平性

今日は、ちょっと長くなりますが、平等性と公平性について真面目なこと書きます。

平等性(equality)と公平性(equity)は似ているようで全く違うんですね。
開発学の分野でも議論途上の概念なので、明確な定義はまだありません。


あくまで仮ですが、配り方にのみ焦点を当て、その違いを書いておくと、
平等性というのは、同じものを同じだけ「配分」すること。
公平性というのは、各人のニーズに応じて「分配」すること。


ちょっとややこしいですが、たとえば、ある家族でリンゴを食べるときに、
等分に切り分けて、全員が同じ量を食べられるように配慮するのが平等性。
それに対し、リンゴが大好きな弟には3ピース、ごはん食べ過ぎてお腹いっぱいのお母さんには1ピース、硬いものが食べられないおじいちゃんにはすりおろしリンゴ、などと配慮するのが公平性。

つまり、不平等と不公平は時に矛盾するんですね。ひとりひとりの受け取る資源が異なる場合、それは「不平等」であるけれど、「不公平」かどうかは、また別の問題だということです。


で、プロポーザルを書くにあたっても、結構このことで衝突します。というのも、これまでADEOからの支援が特定のグループに集中していて、支援の届かない人から「不公正(unfair)だ!」という不満を聞いたからです。

ブシアオフィスのボスなんかは、「全員を支援することなんて不可能なんだから、不満が出るのは仕方がない」と聞く耳を持つ気すらない感じです。私個人の考えでは、確かに、不平等(unequal)なのは仕方がない、というかニーズはそれぞれ違うので、平等である必要はないとさえ思う。だけど、公平性(equity)はやっぱり考えないといけない。と思う。


それでまあ研修の後半あたりは、公平性を、どうやったら達成できるんだろうか、てゆうことを考えていたわけです。で、たぶん、究極の公平性を求めるのであれば、ひとつひとつの家庭の既存の経済力と見込みの経済力を、数値化して、その差異を均すように資源を分配すれば良いんですね。しかしまあ、間違いなく途方もない作業です。なぜかって、彼らの有している資本が多種多様で、かつ不安定であるからです。


そんなわけで、「どう配るか」という点に焦点を当てて公平性を目指すことはやめました。「どう配るか」ではなく、関係する人たちが「配り方に納得するか」という部分に焦点を当てることにしました。

なぜなら、公平性というのは、それが担保される状態のことを指しているけど、「どう配るか」という資源の配り方だけを問うているのではなく、その配り方に周囲の人が「納得するか」ということを問う必要があるのだと思うからです。そこでは、関係する人たちの、公正性(fairness)の感覚が大切で、配られる資源が不平等であることを、いかに各人が納得できるか、という点に影響を受けます。


たとえば、先ほどのリンゴも、「なんでおじいちゃんだけ、すりおろしリンゴなの!?」と不満を持つ家族がいれば、それは、公平性が担保されたとはいえない。だけど、「おじいちゃんは、硬いものが食べられないから、すりおろす必要があるのね」との共通の合意があれば、公平性が担保されたと考えられる。つまり、資源の配り方は同じであっても、それに関係する周辺の人が「納得するか」どうかによって、公平性が担保されたかどうかも左右されるのだと思います。


この「納得するか」という基準は、とても曖昧で、数値化できる性質のものではないし、もちろん完璧を目指すことはできません。これを承知のうえで、この微妙な感覚を大切にしたいと思う。


そんなこんなで開発の世界も奥深いですね。

これ以上書くと長くなりすぎるので、強引にまとめてみました。



ところで帰国します。もうちょいで空港に向かいます。


日本、すでに寒いそうですね。アホみたいな恰好してるので、凍えると思います。
日本に帰ったら、録画している真田丸を一気に見てやります。楽しみです。

2016年11月17日木曜日

くじゃ

ナイロビは、やっぱりスワヒリ語ばっかり飛び交っていますね。英語もずいぶん混ざってるので、聞き取りやすいです。

ところで、「Kuja」って、ケニア版スワヒリ語で、「来る」という動詞「ja」の命令形なんですが、この響きが私のツボです。

「く」に「じゃ」って最強だと思います。

というかスワヒリ語の発音って、なんか妙にかわいいと思う。
なんとなくjの発音が多い気がするんですが、それが広島弁とも近いからか親近感。

よちよち歩きの子どもを呼ぶときに、「くじゃ、くじゃ」とゆってるのが、本当にかわいい。
学校で男子生徒が意中の女子生徒を「くじゃあ~」って寂しそうに呼んでいるのも、すごいかわいいです。
ちなみに「く」にアクセントを置きます。

正式な?スワヒリ語では、「来る」の命令形は、「Njoo」なんですが、「ンジョー」って全然かわいくない。

「ンジョー」を使う人もいますが、こちらでは「くじゃ」の使用頻度が圧倒的に高い気がします。

2016年11月14日月曜日

ナイロビオフィス

ナイロビオフィスに約3か月弱ぶりに戻ってきました。なんともいえない微妙な緊張感がここにはありますね。というか、ブシアが緊張感なさすぎなのか。
仕事に集中できる環境が整っているというか、みんなが真面目にやっているから影響を受けるのか、私の作業もはかどる感じです。

何が違うんだろう?と思うんですけど、たぶん小さいことが少しずつ違うんですね。

たとえば、服装。ナイロビではみんなシャツにジャケット着てるけど、ブシアではシャツかTシャツ。ブシアの方がナイロビより暑いのもあるけど、ジャケットは見たことない。

たとえば、机の上。ナイロビは、ある程度キレイに片付いている。たぶん拭き掃除をしてくれているスタッフがいる。ブシアでは、ずっと前から置きっぱなしの飲みかけのペットボトルとか食べくずとか投げてあるので、机の上で作業しようと思うと、まず片付けから始める必要がある。


ちょうど私がブシアを離れる最後の日に、あるスタッフがオフィスの鍵を紛失したんですが、結果どうしたかってゆうと扉を破壊したんですね。「鍵がなければ扉を壊せばいい」という発想が、ブシアらしいなと思ったわけです。ボスは一応、最初は鍵屋に電話したんですが、すぐに鍵屋を待つのに飽きたみたいで、扉を蹴ったり、モップの柄でドスッと衝撃を与えたりして、強引に破壊しました。そのさまはどことなくシュールで、私はついつい笑ってしまいましたが、彼は真剣でした。なかなか壊れない扉を何度も蹴りつけ、真剣に破壊していました。


こうやってナイロビと比較してるとブシアの悪口に聞こえるかもしれないですが、ブシアにはブシアのペースがって、それはそれで面白いなと思います。んでナイロビでも、熱心に机に向かってるなと思ったら、爪にマニキュア塗ってたりするし、びしっとしてるようでしてないこともあるわけで。


ところで、私と入れ違いでブシアオフィスに新しい研修生がやってきます。彼とは昨日、ナイロビでお会いしました。彼のブログがこちらですhttp://banapple78.blogspot.co.ke/。ブシアオフィスでの格闘の日々を彼なりの視点で更新しくれると思います。楽しみです。

2016年11月12日土曜日

カラッとした空

ブシアの良いところは朝方のカラっとした空だと思う。
昼を過ぎれば暑くてそれどころじゃないけど、朝は良い。
あと、夜も良い。星がすごい。

建物も山も低いので、空が広すぎて首が痛い。


そんなブシアを離れてナイロビに戻ってきました。
ナイロビは人が多いですね、やっぱり。

ブシアからキスムまでバスに乗っていたんですが、アジア系の女の子を発見しました。なんと韓国の高校生らしく。「学校がつまらないから」ケニアに来たみたいです。1か月ボランティアしてたらしいですが、ネットで調べて1人で来たみたいで、たくましいなと思いました。

2016年11月8日火曜日

汚い字

キレイな字を書くことは良いことですが、日本でキレイな字に慣れている私は、こっちの人たちの書くアルファベットが解読できないことが多いです。もちろん字なので、それぞれクセがあるし、そのクセに慣れていないだけだと言われればそうなんですが。でも少なくとも私がアルファベットを書くと、こちらの人に少なからず、キレイだね、丁寧だね、と褒められます。

だけども、私はキレイな字に慣れていて、キレイな字を書けるがゆえに、こちらの人の字が読めない、というのはかなり不便なことです。


話が変わりますが、ブラック企業とか過労死とかの問題は、もちろん企業が明確な加害者だと思うし、その体制を見直す必要があると思います。だけど、今の日本には、自殺に追い込まれるほど働いている人が少なからずいて、その予備軍がまた数十倍いて、つまりはそういった企業がとてもたくさんある。1つや2つの企業の問題であれば、その企業が徹底的に糾弾されて体制改善をすれば解決すると思うんですが、そうではなく、たくさんの企業がブラックになっているのは、そうならざるを得ない要因が他にあるということ。何が言いたいかってゆうと、企業へサービスを求める、私たち消費者の問題でもあると思うわけです。

日本は、おもてなしの国だとか、マナーが良いとか、礼儀正しいとか、そうゆうところが対外的な美徳となっていると思います。大いに結構で良いことだと思います。


今滞在しているゲストハウスのスタッフたちなんて、レストランの机で昼寝してたり、お客さんのまえで商品をつまみ食いしてたりと自由です。夜中まで大音量の音楽で楽しんでいるかと思えば、朝6時くらいから大声でおしゃべりしています。水が出ないよ!湯が出ないよ!とか苦情ゆっても「どんまい、どんまい」て感じで謝罪はありません。平然と「うちの問題ではなく、この地域の問題なのよ」と言い返されます。と、日本で得られうるサービスと比較すると不満だらけなわけです。

で、私自身は、こういう不便さが、さほど気にならないのですが、その理由を、「日本とケニアは違うから」で片づけているだけでは不十分かなと思います。それでは問題の外部に解決策を見つけているだけだからです。そうではなくて、私自身のうちに起こる他者への寛容度の変化を大切にしたいなと思います。


そうゆうわけで、字の話に戻りますが、自分の字がキレイだからといって、他人の字を汚いと馬鹿にしたり、他人の字が読めなくなったりしているようでは、せっかくのキレイな字も美徳ではなくなってしまうように思うのです。

2016年11月6日日曜日

宗教

こちらでは頻繁に宗教の話題が出てきます。何を信じているの?と聞かれたとき、「う~ん、得に何も」と返すと、その後面倒なことになるので、「仏教だよ!」と答えていました。それで納得してもらえればいいんですが、「仏教だと、世界はどんなふうに作られたと考えるの?」とか、「仏教だと、何を崇拝するの?」とか突っ込まれると、もう止まらない。仏教には、一神教のような「神」はいないのよ、なんて言ってしまうと、ええ!ゴッドを信じないと救われないわよ!て感じで、どんどん話が長くなっていきます。


宗教の必要性は感じます。特に人の死に直面するときなど、決まり事のある儀式?が生きていくうえで非常に重要だと思います。それでも私の場合、あくまで客観的というか、宗教に伴う機能的な部分に必要性を感じているだけであって、何かを主観的に「崇拝するworship」というのは、よく分からない。

こないだの日曜日、ADEOスタッフと一緒に行ったペンテコステ派の教会で、何人かの教徒が祈りに入り込みすぎて、横転したり泣き叫んだりする様子を目の当たりにしました。正直ちょっと怖いなと思いました。他方で、今日行った別のペンテコステ派の教会では、熱心に祈っている女の子の姿を見て、率直に、美しいな、と感じました。なんだか神聖なものを見た気分でした。


宗教とか信仰というのは、世界はなぜできたのか?人間は死んだらどうなるのか?なんで私にばかりこんなに不幸が襲ってくるのか?というような、答えのない果てしない疑問に対し、解釈を付与する行為だと思います。

で、やっぱり宗教の面白いところは、その解釈の共有が、数億単位の人数の間で、文化圏や言語圏を遥かに超えて起こっているところ。解釈に限らず、聖歌や祈りの言葉なんかも共有していて、それってすごいなと単純に思います。

日本は宗教と独特の関わり方をしていますが、キリスト教やイスラム教などの考え方が現代世界の大部分を作ってきたわけで、ややこしくても、これらを理解する姿勢は重要かなと思います。ので、少しずつですが勉強中です。

2016年11月3日木曜日

スワヒリ語の不思議

スワヒリ語では、時間をいうとき、なぜか6時間ズレです。

たとえば、昼13時に、
英語で、「今何時?」と聞くと、「午後1時」あるいは「13時」と返すんですが、
スワヒリ語で、「今何時?」と聞くと、「7時」と返すんですね。
時計の針は同じように昼13時なら「1」を指しているのに、スワヒリ語で数字をいうときは「7」というんです。ちなみに、ルイヤ人(私の滞在地域に多い民族)の母語であるルイヤ語でも、同様に6ズレらしいです。

これが私にはやたらとややこしくて未だに慣れない。一応、1~10までのスワヒリ語は覚えているんですが、パッと出るわけじゃないので、しばらく考えなきゃいけないし、そのあとで、6の足し算しなきゃいけいない。
だけど、こっちの人は慣れているのかとにかく瞬時に使い分けてます。

日本とケニアの時差も6時間なので、
時差を聞かれたときに、「英語とスワヒリ語のギャップと同じだよ」というと、ちょっとウケが良い気がします。

2016年11月1日火曜日

焼き芋

私は焼き芋が好きです。
去年の今頃は、研究室で修士論文書いてるのか焼き芋作ってるのか分からないぐらい焼き芋を食べていました。同期や指導教員までサツマイモを購入してくださる始末で、ロッカーにはサツマイモがストックされていました。私が好きなのは、ちょっとチンしました、とかゆうのじゃなくて、じっくりオーブンで焼いて、「ねちょおっ」てなった焼き芋です。味付けをせずに素材だけで美味しさを競うコンテストがあるならば、焼き芋は首位独走だと思います。

ケニアでもサツマイモは結構あるんですが、私が見た限り、塩茹でして食べるのが主流です。まあ普通に美味しいんですが、やっぱりサツマイモは「ねちょおっ」てしてこそ本領を発揮するんですよ。

基本的に料理では炭火を使っているので、これはもしや焼き芋が作れるのではないか?と思い立ち、街まで行ってアルミホイルを購入し、ついに挑戦してみました!

やっぱり、芋の種類が違うのか(日本でもサツマイモの種類によって結構出来上がりに差がでます)、思った以上には「ねちょおっ」とならず、「ほくうっ」てゆう感じでした。まあでも美味しかったです!!こちらの人にも評判が良かったので、これ、売れるんじゃないかな?とか思ったんですが、どうでしょうかね?


というのも、マーケットとかウロウロして思うのは、失礼ながら「みんなワンパターンなんだよな」ということです。たとえば菓子的なものを売っている人は至るところにいて、私がよく買い食いしているチップス(≒フライドポテト)のほかに、サモサ(≒揚げ餃子)、マンダージ(≒ドーナッツ)、焼きメイズ(≒焼きトウモロコシ)などありますが、結局どれもこれも同じ!なんですよね。


驚くのは、同じものを同じ値段で、しかも隣で売ってる、とかも珍しくないことです。特に野菜とか果物ですね。ずら~と並んで皆でバナナを売ってたりします。おいおい、誰からバナナを買えば良いんだ?という気分になる。てゆうか、なんで同じものを売る人が隣に来るのを許すのかも謎です。「もし私がバナナ売りだったら、自分の隣に他のバナナ売りを座らせないよ」と友人に話すとなぜか爆笑されました。彼曰く、「価格競争するんだから良いことだよ」とのこと。まあ消費者の立場からはそうかもしれないですが、売る側からしたらどうなの?と納得がいかない。もしかして協同で仕入たり売り上げを分けっこしたりしてるのかもしれないですが。


儲けを出すために、必要なコストを削減する(というかチョロまかす)工夫がされているのは分かります。だけど付加価値をつけて差別化するとか、新しいものを売ってみるとかも大事ではないでしょうか。リスクに賭ける余裕がないと言ってしまえばそれで終わりですが、リスクを取らないと新しい世界は開けないのです。まあ端的にいえば、焼き芋売りが現れたら、私は毎日買いに行きますよ、ってことです。

2016年10月30日日曜日

昨日の続き

なんてゆうか、ケニアには肉体労働の過酷さがあって、日本には心理的な生きづらさがある、とかそんな比較をしたいわけではないんです。

もはや、あらゆる事柄を国と国で比較することには限界があると思います。ケニアでも日本でも、その困難の質は違えど、一定程度の人たちが、周辺環境による理不尽や苦渋を強いられている。

上手い例えを読んだことがあります。「みんながお腹をすかせていた中で育った子どもと、一人だけ給食が食べられない子ども。どちらがより貧困の影響を受けるであろう。答えは、それほどシンプルではない」(阿部 2011: 66頁)。

同じ指標で測ってどっちが楽でどっちが困難か、などと簡単に割り切れる問題ではない。

そういったことを伝えたいんですが、自分の中でもまとまってない考えを、外国語で伝えるには、語彙力と表現力が不足していて難しいです。

2016年10月29日土曜日

日本人は楽しているか?

私の住む西部地域は、土地が豊かといわれるゆえんでもありますが、よく雨が降ります。現在は小雨季にあたるので、ちょこちょこ夕方から夜にかけて雨が降ります。多くの家庭では、雨が降った翌日は水分を含んだ畑を耕す仕事が待っています。

ケニアの生徒たちと話していると、畑仕事は、水汲み、掃除、料理、家畜の世話など数ある家事のなかでも最も人気がなく、「長期休暇は畑仕事あるからつらい」と言わせるほどです。日雇い労働の定番でもありますが、ハードなわりに1日100Ksh(約100円)くらいしか稼げません。


この畑仕事のことで、少し口論になりました。相手のケニア人曰く、「日本での生活は楽だろうけど、ケニアでの生活は大変だ」とのこと。「日本では機械がやってくれるんでしょ?」とのことでした。まあ確かに生活の利便性はあるわけですね、日本には。だけど、「日本人はケニア人より楽に生きている」という意見には賛同しかねたわけです。日本だっていろいろあるよ、と主張したのです。すると、「あんた雨季に来てシャンバ(畑のこと)を耕してみなよ、昼ご飯も食べずに一日中。そうゆうことができるか?」て返されました。「日本ではごはんをどうやって作るんだ?たきぎを集めに行くか?」と追及されました。


確かに私は甘っちょろいと思います。ちょっと筋トレしただけでバテますしね。


こっちの学校で生徒と握手すると、「ミクの手は滑らかだね、畑仕事してないでしょ?」と言い当てられます。畑仕事をちゃんとしてる人の手のひらは、手まめがあって硬い。


でもだからといって日本人を「苦労していない」とくくられるのはすごく違うとも思う。


それでも私には説得力も何もなくて、彼らの生活を前に言葉を返せなかったです。

2016年10月27日木曜日

結婚

少々、更新をサボりました。わりと最近は忙しくしております。

先日偶然にも、友人(同世代の女の子)が、実家で婚約者を紹介する、というシーンに出くわしました。

友人が「彼が私の婚約者よ」と皆の前で紹介するときに、私は驚いて「え!婚約者!!わ~おめでとう!!」と反応したんですが、すぐ横に座っていたお母さんが私の腕をつねってきました。「まだ認めてない!!」という目線を送ってきます。お母さんは普段とても愛想が良いのですが、急に無口になるし、しゃべるときも声すごい小さいし、とにかく婚約者に対しぶっきらぼうでした。

その後、友人やお母さん、その他の家族が、チャイの準備などで散らばって、リビングに私と婚約者だけ残されたんですが、彼がこっそり「これは人生の大きなチャレンジだ」とつぶやいたのは面白かったです。

ひとしきりこの彼と結婚について他愛のない会話をしていたんですが、私が「博士課程の学生だ」というと「わお!教育を受けすぎだよ。結婚できなくなるよ」と言われました。余計なお世話ですね。


ところで関係ないですが、なんで日本は夫婦別姓を許可しないんですかね。職種にもよるとは思いますが、ある程度の年齢になれば、男性も女性も就職して名前で実績を重ねているわけで、苗字の変更にかかる苦労はすごいと思います。


ところでADEOスタッフから、来年6月に結婚式するから是非来て、と言われました。是非行きたいですね。


そんなわけで、まとまりのない更新でしたが結婚についてのお話でした。

2016年10月22日土曜日

延期に延期を重ねるミーティング

そういえば研修のことをあまり書いていませんでしたが、プロポーザルについて進めています。
ムソマという村の村民たちvsADEOスタッフvs私、で日々意見の擦り合わせに苦心しています。意見の対立は良いんです。私だけが納得のいくプロポーザルを作ったって仕方がないから、衝突を繰り返し何度も話し合って、ムソマ側もADEO側も全員が納得することが重要です。ただ問題はミーティングに集まるかどうかのところ。時間を守らないのは日常茶飯事なので気にしないですが、ミーティングに来ない、というのは大きなチャレンジです。

9月20日頃から、ボスが直接ムソマ側と話さなくては進まない事項が発覚し、その週末にムソマに一緒に行こう、と言ってくれたはずが、延期に延期を重ね、1か月が経過してしまいました。なんで延期してしまうか?というエピソードのひとつをご紹介します。

例えば、先週の10月13日(木)12時からムソマでミーティング、ということで前日には合意していたんですが、ボスが出発の直前に「あとで行くから先に行っといて」と言い出しました。ええ、嫌な予感はしました。とりあえず先に行きました。
11時半にムソマ代表者の家に行き、お昼ご飯をご馳走になったりしていたら12時半を過ぎてしまいました(まあ、この程度の遅れは誰も気にしません)。ミーティング場所に遅れていくも、あれ?誰もいない。もともとミーティングには83人(!)+私とボスが参加予定です。しかし、その週ムソマ周辺で5人の死者が出たことで葬式が立て込んでいるとのこと。とはいっても、少なすぎでしょう?そして案の定、ボスは来なかった。月曜に延期しよう、ということになりました。ボスとも電話で連絡を取り、10時開始で合意しました。

10月17日(月)、朝8時半にボスから電話。「今から病院行くからオフィス行くの遅くなる」とのこと。「あれ、今日ムソマだけど来れる?」と聞くと、「え?そうだっけ?何時から?」ととぼけるので、「10時から!」と返すと「あ~後で連絡する」といわれる。その後、私からムソマ代表者に電話し、「今日10時からだよね?OK?」と確認するも「あ、それ水曜に延期しようってことになったのよ~水曜でよろしく!」とのこと。延期したなら連絡しなさいよ。ボスに再び電話して「水曜が良いんだって、水曜どう?」と聞くと、「水曜は別の会議がある」とのことだったので、再びムソマに電話して「水曜はボス予定あるって!」と伝える。


そんなこんなで橋渡し役がいかに大変かというのが分かってもらえるでしょうか?なんでみなさん勝手に予定をコロコロ変えてしまうんでしょうね? こんなドタバタが重なって、結局、ボスと一緒にムソマに行けれていないのです。

集まれば議論は白熱するし、確実に前進するのが分かるんですが、集まるまでが大変です。



ブログでは愚痴っぽくなっていますが、実は最近驚くほど楽しいです。
あかん、楽しい。と心の中でつぶやいています。
うまくいかないことばっかりなのに、なぜか良い気分です。

2016年10月21日金曜日

ピキピキのちんちょんちーん

ピキピキの兄ちゃんたちは一応ケニアで公共交通機関のひとつになっていて、停留所みたいなところで固まって客を待っています。で、その前を通ると必ずちょっかいをかけられます。「チャイニーズ!ちんちょーん!」とかそんな感じです。ものっすごい鬱陶しいので冷酷な視線を向けるか、完璧に無視を貫いていたんですが、そんなのを繰り返してると何も言われなくなってきました。

勝手なもんですが、それはそれでちょっと寂しい気分になったので、私のほうから「ハバリゼニ?(=みんな調子どう?)」と挨拶してみました。そうすると「ンズリ!(=良いよ!)」と返ってきます。普通に挨拶するもんですね。今度から「ちんちょんちーん」と叫ばれたら、無視するんじゃなくて「セマハバリ!(=挨拶して!)」と言おうと思います。

面倒だからといって問題を未解決のまま放っとくのではなく、好転するよう働きかけるのは大切ですね。

2016年10月20日木曜日

英雄の日

今日は、「英雄の日(Siku ya Mashujaa)」という祝日でした。
ケニアの独立に積極的に貢献した6人の英雄を称える記念の日です。


ケニアを舞台にした映画は、いくつか見たことがありますが、独立の闘士マウマウが登場する良作は、『おじいさんと草原の小学校』だと思います。ケニアでは、2003年に初等教育無償化政策が改めて実施されたことを契機に、就学率がぐぐっと上がるんですが、そのとき、強い意志を持って入学を求めてきた人のうちに84歳のおじいちゃんがいました。彼は「最も高齢の小学生」として2004年のギネス世界記録にも登録されています。といいつつ、確かな生年は不明で、本人の記憶によるものらしいです。ギネスのわりに適当ですね。映画は、この実話に基づいて作成されています。どこまで実話なのかは知らないですが、ケニア独立のために多くの犠牲を伴ってイギリス植民地政府と戦った主人公の過去と、そのイギリスの言語である英語を学ぶために学校に来ている現在が、うまく対比されています。アンチ学校派の私でも、学校教育の良い側面を上手に描いたな、と思わされました。


ところで脱線しますが、アフリカの映画でズシっときたものの暫定ナンバーワンは、『ルワンダの涙』でした。ルワンダといえば『ホテル・ルワンダ』が有名ですね。あれは確かに心に突き刺さる名作だと思いますが、ゆってしまえば偉人の為した偉業を描いているんですよね。それに対し、『ルワンダの涙』で描かれているのは、理想と現実の間で苦しむ凡人の姿です。「人を助ける」って簡単なもんではない。というか無理ですね。自分を犠牲にしてでも他人を助けるなんて行為は、普通はできないです。邦題で損してる節はありますが、原名は“Shooting Dogs”です。なんで「犬を撃つこと」なの?と思いますが、映画を見たら納得します。とか思い返していると、もっかい見たくなりました。帰国したら誰か一緒に見ませんか?


映画は良いですね。映画に限らず、小説とか漫画とか論文とか、推敲に推敲を重ねて成しえた作品に触れるのは好きです。

と、ただの映画回顧録になりましがたが、今日は祝日だったので良しとします。

2016年10月18日火曜日

カバは嫌!

胃袋がどんどん大きくなっているのを感じます。

毎日一食はウガリを食べるんですが、最初のころは出されたウガリの半分も食べれば良い方だったのに、最近は、8割くらい食べれてしまいます。朝ごはんのチャパティも、最初のころは後半わりとしんどかったんですが、最近はいつの間にかペロッと食べ終わってしまっています。このあいだは米食べたい!と思って、マーケットまで歩いて行ってピラウ(米料理の定番)を注文したんですが、出てきたピラウの量をみて「うお!多いぜ!」と思ったわりに、気が付いたら完食していました。そのうえ帰り道で売っているチップス(フライドポテトみたいなもん)を買い食いしました。おそろしい食欲です。せめて歩いて消費しようと思って歩いているのに、途中で買い食いしていたら意味ないですね。このままだとデブになります。ちなみにスワヒリ語の「カバ(kiboko)」には「太った人」ってゆう意味があるらしいです。

今日、満面の笑顔で「太ったね!!」と言われました。こちらでは必ずしも「太った」は悪いことではないので、とりたてた含意はなく、「髪の毛のびたね!」と同じ感覚で、単に事実に言及しているだけです。

そんなこんなで、太ったのではないかという自覚はあったので、先週くらいから地道に筋トレを始めていました。といっても外で筋トレするのも恥ずかしいので、なんとなく動こう!というキャンペーンをひっそりと部屋のなかでやってます。1日5分しただけで筋肉痛になるもんですね。運動不足を痛感します。

今日は「太った」と言われたショックもあって、有酸素運動(という名の足踏みジョギング)を取り入れながら10分間の運動を試みたんですが、めちゃくちゃバテました。酸欠?っぽい感じで頭痛くなって、1時間くらい横になっていました。ひとりで動き回って頭痛くなるとかアホですね。しかも10分の運動で。情けないです。


2016年10月15日土曜日

続・ハランベー

私が昨日参加したハランベーは学費を集めることが目的でした。ハランベーを受ける主人公ともなる男性は私と同世代(誕生日が3日違い!)です。彼は聡明で、初めて話したときから「この人は違うな」と思わせる何かを持っていました。それでも、どうしようもなく理不尽な困難が何度も彼の人生に降りかかっています。

ハランベーに参加していたのはホストとゲストを合わせて30人ほどでした。参加していた人曰く、「とても少ない」人数のようです。ハランベーでは、どれだけ情報を拡散できるか、どれだけ人脈を持っているかが結構重要です。

まず、ホスト側から数人の挨拶があって、それから本題のお金集めに入ります。一人ひとりがいくら出したかが全員に分かるように共有します。ここでの最高額は10,000Ksh(約1万円)でした。ちなみにこの額を拠出したのはホスト側の代表です。ホストもゲストも、それぞれ出せる金額を拠出しますが、200Kshが多かったような印象です。もちろん20Kshとかコインだけの人もいるし、お金は出せないから、と家で取れた野菜や卵を持ってきている人もいました。代理で預かっているお金も、金額と提供者を全員に共有しながら進みます。人によっては、M-PESAというケニアで発達している電子マネーでホストのケータイにお金を送っていました。これらもちゃんと全員の前で共有されます。

さて、ここまでは人びとの準備した金額。ここからが勝負どころです。いかにゲストから絞りだすか、というのをホスト側があの手この手で頑張ります。ホスト側がこれ見よがしに自己犠牲しながら大金を拠出し、「みんなもうちょっと頑張って!!」と押し売りしてきます。私も体よく使われて、「50Ksh払ったら、この日本人と握手できるよ!」と前に立たされ、お金を集めるのを手伝いました。他にも、先ほどの野菜や卵を使って、オークションをします。高い値段を出せない人も、「あの人に10Ksh付け足すわ!」というふうに参加することができます。もちろん相場の数倍も高い値段になりますが、売り上げは全てハランベーです。ここでも私が体よく使われて、「日本にケニアの卵を送ろう!」みたいな感じで盛り上がり、数人でお金を出し合って卵を買ってもらいました。要は、いかに楽しくお金を出すか、てゆうのが工夫されているのです。


そんなこんなで最終的なハランベーの合計額は40,000Kshでした。金額がピッタリなのは、これまた最後の最後に39,000いくらかだったのを、「もうひといき!!付け足せる人!!」という掛け声のもと増やしたからです。この金額も、参加者にいわせれば「すごく少ない」みたいです。実際、ゲストではなくホストの人たちが大金を出していた印象だし、ハランベー終了後にはソーダと軽食のサービスもありました。なので、純粋な利益っていくらなんだろう?と考えると、すごく小さい金額のような気がします。


それでもハランベーは、お金を集めること以外にもいろんな意味が込められているような印象を受けました。と同時に、一人ひとりの人間関係の量と質が問われているようで、なんだかシビアな世界だなと思いました。ケニアでは、必ずしも学校に行かなくたって生きるための学びの機会は至るところにあるし、人間関係だって学校外で育まれているものも多いと思います。だけど、やはり教育レベルと収入は相関関係にあり、収入の多い友人をいくら持てるか、という意味で学校教育は大きな影響力を持ってしまっていると思う。学校教育は、それを受けた者に何かを与えるというよりも、それを受けなかった者から何かを奪うのではないかと、思わざるを得ないのです。

そしてやっぱりスワヒリ語を真面目に勉強したいなと痛感させられました。彼らが冗談を言って笑いあっているポイントについていけないのは歯がゆいです。

2016年10月14日金曜日

ハランベー

今日はムソマでハランベーに参加してきました。

「ハランベー」というスワヒリ語は、英訳・邦訳が難しいのですが、ケニアにおいて重要な意味を持っています。独立後の初代大統領ジョモ・ケニヤッタ氏はハランベーを国民統合と国家建設のためのスローガンとして掲げたほどです。

一般に個人レベルで「ハランベー」をやるときは、まとまったお金を集めたいときです。例えば私の知ってる例では、手術代、学費、交通費、などがありました。ある家庭でハランベーをやると決めたら、家族や親族がそれぞれ「ハランベー招待状」なるものを自身の知人や友人にたくさん配ります。基本的には、「ハランベー招待状」をもらったら、(代理を立ててでも)開催当日に開催場所に行く必要があります。どれだけの金額を拠出するかは自由ですが、たとえわずかでも、そのときその人が貢献できる額を出すべきとされています。そしてそれらは全て帳簿に記録されます。

ハランベーは、「助け合い」とか「自助努力」とか、ケニア社会に息づく「美徳」として語られることも多いですが、人によっては、汚職とどっこいどっこいだと指摘します。例えば、ハランベーの主催者が、地元の有力者や政府関係者などであった場合、「見返り」を求めてハランベーに参加する人がいます。これを「汚職」と表現するのが適切かは分からないですが、こちらでは、「汚職(corruption)」とか「賄賂(bribe)」は、かなり広い意味で使われてると思います。

私も詳しく分かっていないですが、ハランベーはリスクヘッジの側面が強いな、とは思います。他人のハランベーに参加するのは、もちろん助け合いの精神もあるとは思いますが、自分が主催するときに誰も来なくなったら困るからです。予測できない将来の緊急事態に備えて、少なくとも現在貢献できる金額があれば、他人に貢献しておくのです。

こちらのママが以前ハランベーについて指摘したのは、「ハランベー集団の階層化」です。従来のハランベーには、経済力の異なる多様な人が参加し、それぞれに出せる金額を拠出していた。しかし、近年では、例えば貧乏な人の主催するハランベーにお金持ちが来なくなった、とのことです。まあ、「どうせこの人、私がハランベーに招待してもちょっとしか出してくれないだろうな」と思った金持ちが、より見返りが期待できる他の金持ちのハランベーに参加する、というのは冷たいけど合理的です。「金持ち」といえども、相対的なものであって、それなりに大変だからです。ただ、このように、貧しい人は貧しい人で助け合い、豊かな人は豊かな人で助け合う、という助け合いの階層化が進むと、農村に息づいていたはずの「より多くを持つ者が、より多く出す」という公平性を創出するメカニズムが機能しなくなり、結果として階層間の差、すなわち格差が拡大するのでは、と感じます。(専門的なことは分からないので、あくまで印象)

そうなってくると、政府主導の公的な福祉政策の整備が進まないと立ち行かなくなりますね。


と、前置きが長くなりましたので、今日のハランベーの内容は明日更新することにします。

2016年10月12日水曜日

大物のように振る舞うな

今日、あるスタッフがボスに放った一言です。

今日はボスが何かと、このスタッフに対し「あれやれ」「これやれ」と横柄に指示していたんですが、我慢の限界だったようで、ついにスタッフがボスの指示を無視。それに対し、ボスは「おい、なにやってるんだ今」と声をかける。スタッフは、「へ~い、仕事やってんだよ!」と返し、続けて、「大物のように振る舞うな」の一撃。

いや、素晴らしいなと思います。

なかなか日本では考えられないような気がしますね。嫌な顔をするとか迷惑なことをアピールするぐらいはできるかもしれないけど、ボス自身の態度に対し喝を入れることは難しいと思います。

きちんと主張できる下の者と、それを受け入れる準備のある上の者がいてこそ、これが成り立つのですね。

こうゆう土壌があることは、とても大切だと思います。

例えば、日本の研究者の世界で考えてみると、学会なんかに行くと建前上は教員も学生も関係なくて、オフィシャルには「○○さん」とか「○○先生」という呼び分けはせずに、みんな「○○会員」って呼ばれます。「小川会員の発表に質問のある会員は挙手してください」とかそんな感じです。だけどまあ、実際のところは、発表者および質問者が、それぞれ学生なのか教授なのかで言い方や雰囲気は大きく変わりますけどね。
私はまだまだペーペーですが、それでも研究室のなかでは先輩側に回ってきているので、これまで先輩方にバシバシ言われてきた以上には、後輩にバシバシ言われません。だけどやっぱりバシバシ言い合う関係は大切だと思います。

なので、今日のADEOスタッフのやりとりをみて、すごいなと思います。改めて。

日本で簡単にできる多くのことがケニアではすごく難しいんですが、それと同様に、日本ではなかなか難しいことがケニアではすごく簡単だったりします。

2016年10月10日月曜日

ラッキーデー

今日は幸運でした。

朝、なんとなくスタッフに誘われて、あるミーティングに出席。テーマは、避妊について10代の女の子にどう伝えるか。実態として10代の女子は既にsexual active stageであること、妊娠による中途退学が非常に多いこと、HIV/AIDSの近年の新たな感染者は15~24歳の若者に集中していること、などの問題がある。
ケニアに10歳の母親がいるということで、もし10歳の娘が「避妊具が欲しい」と言ったら親としてどう対応するか?という議論がされていた。妊娠や性感染症を防ぐために避妊具の使用を徹底させることの重要性と、この年齢の女子に性行為を許して良いのか、という葛藤。
10歳は極端な例だけど、例えば、中等学校でも男女交際が名目上は禁止されているので、学校で避妊に関するレクチャーがタブーになってるとこもある。とくに避妊を推奨しないカトリックの学校では。だけど、ひとりひとりの命にかかわることだから、実態に対しきちんとアプローチすることも重要。
議論自体、面白かったし、そのうえ、昼食代として1,000Kshくれた。このへんのレストランだとどう奮発しても300Kshぐらいにしかなんないけど、金欠だったので思わぬ臨時収入に心躍る。


そして今日は、滞在しているゲストハウスのオーナーの60歳の誕生日らしく、夕方からパーティー。ADEOスタッフも一緒に来て、ビール、ソーダ、チキンが無料!やっぱりケニアで食べるチキンは最高。米も3週間ぶりぐらいに食べた。やっぱり米ってうまい。ウガリも普段のよりキメ細かく上質で美味しかった。ADEOスタッフやその友人など、いろんな人と話をして、くだらないことや下品な話題が多いんだけど、やっぱり楽しい。



私には、ケニア大好き!!とかゆう純粋で美しい感情は無いんだけど、なんだかんだ好き、という気持ちが細々と糸を紡いでいる感じ。ここの人たち、好きだなあ、と改めて思った一日でした。

2016年10月7日金曜日

ムズング

「ムズング」というスワヒリ語の本来の意味は、「西洋人」。
でも「西洋人」に限らず、私のような、いわゆる「黒人ではない人」は「ムズング」と呼ばれる。

ピキピキの兄ちゃんたちの「チャイニーズ!!!ちんちょんちーん!」というシャウトは本当に鬱陶しいので、ああゆうのは論外ですが、「ムズング」は中途半端に微妙な気持ちなる。

「ムズング」にどんな意味が込められているのか、考えてみる。日本語でも「外国人」と「ガイジン」では、ニュアンスが違うと思うけど、「ムズング」は「ガイジン」に近いのではないかと思う。正確な意味合いは知らないけど、私個人は、「ムズング」とよばれると「よそ者」とよばれているみたいで、確かによそ者に間違いないけども、少しばかり落ち込む。

いつもと違う時間に歩いていると、いろんな人にジロジロとみられる。あれ、なんで私ジロジロ見られてるんだろう、あ、そうか私ムズングなんだ!と思い出す。というのも私にとっては、まわりにケニア人ばっかりいる状況に慣れつつあるから、非日常にいるという感覚がなくなってくる。それでも、知り合い以外のケニアの人たちにとって、私はあくまで「誰やこのムズング」という存在。私自身がどれだけこの地域に親しみを感じるようになっても、永遠にムズングなんだなと思って、へこんだ。まあそれでも、個人的に知り合って、よくしてくださる方が少しずつですが確実に増えていて、それはそれで嬉しいことです。救われます。

この恩返しを、日本に来る「ムズング」にしたいなと思います。

2016年10月5日水曜日

リバーシブル

このあいだ、結核プロジェクトのデータをファイルに整理するという作業を手伝ったんですが、今日ボスに「雑にやったな?次はもっと丁寧にしろよ」とゆわれたので心外でした。確かに私もあまりちゃんと考えずにファイル閉じをしたので雑だったかもしれませんが、日ごろからオフィスの机には書類が散らばっているし、ゴミも投げたままだし、引き出しの中はごちゃっとしてるし、という状況です。

こんなふうに、おいおい自分のこと棚にあげてるじゃないかって思わされるこことはよくあって、
たとえば遅刻とか典型なんだけど、

朝7時に出発する、てなってた日に、

私:7時にオフィスに行く
スタッフA:8時過ぎに来る。自身の遅刻には一切触れず、まだ来ていないボスを責める。出発が遅れたら困る、と焦りはじめ、わざわざボスの家まで迎えに行く。ボスが家にいなかったので再びオフィスで待つ。
ボス:9時半頃に来る。自身の遅刻には一切触れない。
スタッフAとボス:チャイ飲みに行こう(=朝ごはん食べよう)と言い出す
私:飲み食いの速度が基本的に遅い。スタッフAに早く出発しないと帰りが遅くなるから急げ、と責められる。
結果:10時過ぎに出発

そもそも私は朝ごはんも食べてから集合してるのです。
連絡なしで数時間待たされた後、お腹減ってないのに、もっかいチャイとチャパティ飲んで食べなきゃいけないし、しかも急がされるしで、なんか私だけ損した気分でした。

私はもともと気が長いですが、ケニアに来るたびに気が長くなってる気がします。

ともあれ、こっちで感じる人々の寛容さと大雑把さは表裏一体で、私もつられて寛容にも大雑把にもなっています。だけど、他人に対し寛容になることと、自分に対し寛容になることは、やっぱり違うのです。私の価値観を相手に押し付けるのは間違っているけど、それと同様に相手の価値観で自分まで甘やかしては駄目ですね。

2016年10月3日月曜日

豚はなんでデブなのか

最近は家畜について勉強しています。
こちらで主に飼育されているのは、牛、鶏、豚、ヤギ、ヒツジです。基本的には食用(家庭で消費するか売るか)ですが、食べる以外にもいろいろあります。例えば、畑仕事に役立つ種類の牛がいれば、ミルクが得られる種類の牛やヤギがいる。鶏からは卵が得られるけど、種類によって値段が違う。とにかく、ひとくちに家畜といっても、意外と種類がたくさんあるし、飼育の難易度、飼育に必要なコスト、得られうる利益、栄養価など、それぞれにメリットとデメリットがあって奥深いのです。なので、いろんな人に話を聞いて勉強しています。

そんななか思ったんですが、なんで太った人を悪く言うときに、「豚」が登場するんですかね。豚って他の動物と比べて取り立ててデブというわけでもないと思う。でも豚を観察していて分かりました。やつらは食い意地を張っています。豚はなんでも食べます。たとえば、牛のための干し草がありますが、それを牛のところにあげると、たったったーーー!と豚がやってきて、横から食べあさります。しばらくして今度は鶏のところにメイズとミレットという餌をあげると、またまた、たったったーーー!と豚がやってきます。しかも!豚は、いつまでも食べ続ける。鶏や牛が食べるのをやめても、ひたすら食べ続けます。そのうえ、口を地面から決して離さず、休む間もなく黙々とハイスピードで食べ続けるのです。そんな豚をながめながら、このような食い意地を張っている姿から、太った人の悪口に「豚」が使用されるのだな、と思いました。あと、年を取った豚はビビるくらいデカいですね。あれはデブだな、と思います。

やっぱり豚をみると、千と千尋の神隠しを思い出します。というか、なぜかケニアにいる間、ジブリ映画の様々なシーンが頭をよぎります。「我が名はアシタカ!東の果てよりこの地へ来た。」とかリフレインします、なぞです。ちなみに魔女の宅急便の「落ち込むこともあるけれど、私このまちが好きです」というフレーズは本当に素晴らしいと思います。私は、そんな気持ちでここにいると思います。


脱線しました。
こんなふうに、普段は家畜に目もくれなかったですが、意外と観察すると面白く、謎もたくさんあります。

たとえば鶏は、ひよこ時代には「ピーピーピヨピヨ」と驚くほど高いトーンで鳴いていますが、あれがどうしていつのまにか「ゴゲッゴッゴーーーーー!」「ゴッゴッゲーーーー!!」と野太い声になってしまうのか謎です。あと、なんで歩くときに、あんなに首を前後に動かす必要があるんでしょうか。

ヤギは、ご存知のとおり「メエエエエエエエエエエエ!」と鳴きますが、「エ」の一つ一つに抑揚があります。そのうえ、鳴いている間は、なぜか一点を凝視しています。目が合うと、鳴いてる間中、見つめられることになります。ちょっと怖いです。


こないだ勇気を出して、鶏を絞める一部始終を見学したんですが、やっぱり、つらいものがあります。それでも、料理にしてしまうとチキンは最高においしいです。


最近やっぱり日本食が恋しくなってきました。とんこつラーメン食べたい!!もうウガリには飽きました。今日もウガリ、明日もウガリ、明後日もウガリ。ウガリにうんざりです。

2016年9月30日金曜日

うまくいくのも問題である

疲れる、て人間の基本なんじゃないかと思う。身体とか頭が疲れた日ほど、精神的には健常な気がする。

今日は疲れた。

ケニアに来て1か月と少しが経った。ここ数日感じていた微妙な倦怠感について考えたいと思う。

今回のケニア渡航はいつもと何が違うんだろうか。

ADEOという組織にいて、自分が「何者か」というのがハッキリしている気がする。何してるの?と聞かれると、「ADEOでインターンしている」と返す。すると、ある程度の人がそれだけで納得する。過去にも日本人が研修生として来ているから、ADEOもADEO周辺組織も、「若い日本人」がそこにいることに慣れてくれている。そこには、ある種の安心感がある。

これまでは、学校やその周辺の農村でウロチョロしている謎の外国人、だったと思う。当時は、何してるの?と聞かれたら、フィールドスタディだ、と曖昧に返していた。フィールドスタディってなんだ?(私も知らない笑)と怪訝な顔をされる。最初に怪訝な顔をされるのには慣れている。一生懸命説明して、少しずつ私の存在を理解してもらう。一人で全部やらなきゃいけない状況は、それなりに大変で、毎日それなりに疲れていた。

だけど、「うまくいかない!」って思ってるときは、実はすごく前向きなんじゃないかと思う。うまくいかない!て分かってる時点で、自省してるし、どうしたら解決できるか考えようとしてる。

でも、最近の私のように、なんとなくのんびりやってたら、「うまくいかない!」と焦ることもなければ、解決に向けてがむしゃらに奮闘することもない。ここでの人間関係も私が培ったというよりは、これまでの日本人研修生が培ってきたものの上に乗っかってるだけで、私自身が何をしたのか感じにくい。ADEOという組織のなかにいることに安住して、結果として、微妙な倦怠感に包まれることになる。


そういうわけで、何がどう変わるわけでもないけど、ここ最近の自分のもやもやの原因が分かったので、今日は進歩の日とします。

2016年9月28日水曜日

今日は愚痴です

12月1日は、World AIDS Dayらしく、ケニアでは47県全てで、それぞれ催し物があるみたいです。ブシア県もその準備に取りかかっていて、ADEOブシアからはボスが秘書として活動に関わっています。

今日はボスについていって、3回目のミーティングを見学させてもらいました。12月開催なのに、9月末に3回目って結構大掛かりなイベントなのかなと思います。

全体で1時間くらいのミーティングだったんですが、うち20分くらいが「どうやったら皆がミーティングに来るか」に費やされていました(笑)。出席率が悪いのです。解決策として、ありがちですがチャイかソーダを出す、てことで合意していました。なんかそういう問題なのか?と思いました。チャイやソーダみたいなご褒美で釣るとかではなくて、責任感の問題ですよね。てか20円、30円くらいのチャイやソーダぐらいで来るんなら、はじめから来いよ、と思います。小学生ならまだしも、いっぱしの給料と所得のある人たちです。

そして私が気になったのは電話です。結構いつも気になってることなんですが、電話のマナーがよろしくないです。あくまで私目線ですが。でも、会話中、食事中、仕事中、公共交通機関で移動中、いつでもどこでも電話電話電話。しかも大音量の着信。ケータイのマナーモード機能を使っている人がいたら教えてほしいくらいです。

ミーティング中も、ちょうど意見を話しているとき、その当人に電話がかかってきて、しかも電話にでるんですよ。「いま会議中だから後でかけなおす」という人はまだしも、そのまま電話でしばらく話し始める人もいます。そうなるとミーティングの議題は進みません。

のんびりした空気とか寛容さとかはケニアの魅力だと思うんですが、ちゃきっとするところではちゃきっとしてほしいです。

2016年9月26日月曜日

雨とウジ

雨とウジ、私がケニアで安心できるものです。

雨は音を聞くだけで心穏やかになります。そして雨が降るとしばらくシャワーの心配をしなくていいです。

ウジは穀物が材料のどろっとした飲み物です。最初は嫌いでしたが、栄養取れてるな~てゆう気分になれる数少ない食事なので積極的に飲むようにしています。
というのも、こちらで気になるのはビタミン不足と油の取り過ぎ。栄養取ろうと思って、野菜炒め(ほぼキャベツ)を食べようにもテッカテカのギットギトです。
料理に関して付け足すと、こっちの人たち本当に器用にナイフを扱います。基本的にまな板は使わずに空中で全てを完了させるんですが、キャベツの千切りさえも空中でやっているのを見ると、手を切らないかハラハラします。

脱線しましたが、
そんな今日、夕方に雨が降り始めて、私はウジを飲みながら、のんびりしていました。

すると、白人が5人くらい現れました。驚いて凝視してしまった。外国人が!いる!!
ブシア市内ならまだしも、こんな田舎に、こんないっぱい!と驚きました。
久しぶりに聞くケニア訛り以外の英語の発音が新鮮でした。
神父の育成プログラムでアメリカから来たみたいです。
2泊だけみたいですが、あえてナンバレに滞在するって渋い。

2016年9月24日土曜日

「途上国」と「先進国」

この言葉、便利だけど、あまり好きではないです。

なにが妙かって「開発」だとか「発展」の方向は、それぞれ違うでしょ、て思うのです。近代化理論はもう古い(と思っている)し、全ての国がアメリカ型(というか「都市」型?)の「発展」を目指すのは変な話です。なにを持って、この国は「発展している」国、あの国は「発展した」国だなんて決めるんでしょうか。「発展」は、それぞれの国や地域、社会の文脈で考えれば良いことだと思う。同じ基準で、世界を区分して、「途上国」、「先進国」と分けるのはなんか気に入らない。

ついでにゆうと、日本国内の福祉とか教育の政策を語るとき、よく比較の指標をOECD諸国に限っているのも気に入らない。OECDだけで比べようとする発想こそが貧しい。と突っ込みをいれたいですね。

だけど、なにが歯がゆいか、というと、ケニアの人たち自身が、この言葉を使って自分の国を批判し、しかも日本がうらやましい、と表現することが少なからずあることです。「日本は発展した国だ。だってケニアの車のほとんどは日本から来ている。ケニアはまだ遅れているから」といった感じ。

もちろん、私が日本人であることを知ったうえでの発言なので、お世辞的な要素も含まれてると思います。
それでも、なんだかな~という気分になります。



そういえば今日スイカの種を克服しました。
随分とスイカを食べるのが楽になりました。

2016年9月22日木曜日

ボダボダとピキピキ

便宜上、
ボダボダ=自転車タクシー
ピキピキ=バイクタクシー
と区別します。

私はよくピキピキに乗って移動してるんですが、今日初めてボダボダに乗ってみました。

ボダボダって、要は自転車の2人乗りです。なので明らかに運転する彼に負荷がかかると分かるし、特に坂道にさしかかると、力を入れてこいでる感じが直に伝わってきます。

ボダボダはピキピキよりも安価で利用できます。
悠遊とバイクをぶっとばすピキピキの兄ちゃんよりも、坂道を終えたボダボダのおっちゃんは明らかに疲弊しています。
それでもボダボダがピキピキより安いのは、私たちはサービスに対価を支払うからです。
ボダボダで20分のところを、ピキピキが10分でいくのだから、
ボダボダのおっちゃんの方が疲れてても、ピキピキの兄ちゃんに高く支払うのです。
彼らの努力量は価格に反映されません。

もちろん、ピキピキ運転手は、燃料を購入しなきゃいけないし、多くの場合バイクは借り物でレンタル料を毎日支払わなければなりません。彼らは赤字になるリスクを負っているともいえる。

リスクが高いものほど、成功報酬が高いのは、そりゃ世の中の常識かもしれません。
だけど、リスクを負えないほど切迫した経済状況にある人だって大勢います。

そんな社会で、
より疲れた人が、より稼げないなんて、
それはやっぱり不条理ではないか、と思います。

2016年9月20日火曜日

はたらきかた

一応オフィスアワーは8時始業で、私は9時にくればいいといわれてるんで、9時に出勤するんですが、いまだ9時にオフィスが開いていたことがありません(ブシアオフィスに来て4週目ですけどね)。鍵はADEOスタッフが持っているので、誰かが来ない限り私は中に入れません。
最初の日とかは、電話かけてたんですが、もうあきらめました。
どうせ開いてないんだろうな、と思いながら、それでも9時に来ている私はなんだろう。
真面目だなあと思う。

そんな今日。ボスの登場は10時半。見るからに体調悪そう。全力で体調悪そう。。
とりあえず朝の挨拶「調子どう?」と声をかけます。
すると、「体調わるい。昨日からマラリアなんだ。あとで薬もらいに行く」とのこと。
しかしなぜか先週のムソマでの活動を話せといわれて共有し、プロポーザルの作成にあたって今ある問題点を列挙し、ボスと私が、お互いに今後すべきことをリストアップ。という、なんとも真面目で実のある議論が繰り広げられる。

普段それほど仕事熱心というわけでもないのに、なぜマラリアのときに無理してオフィスにきて、しかもいつもより真面目なのか。。いや~ほんとう謎ですね。
てゆうか逆境にこそ強いのかな、しんどいときこそ頑張りたい気分になるのかな、と思いました。

私だったら、オフィスアワーが8時なら毎日ちゃんと8時に出勤して、マラリアにかかったら、たっぷり1週間くらい休みますけどね。

パワーのスイッチは人それぞれで、面白いなあと思います。

2016年9月19日月曜日

プロの生活を目指す

少しずつ、自分に出来ることが増えてるのが嬉しい。

ちっぽけなことだけど、いまだに電話は苦手だったりする。私の英語は基本的にデタラメで文法が適当なんですが、電話だと声だけを道具にものごとを伝えなくちゃいけなくて、だから緊張する。
だけど、電話を使って交渉したり、頼み事をしたり、そんな苦手なことを、少しずつ重ねてちゃんとできていくのは実感できるし、とても嬉しいです。

スマートに、マタツ(乗り合いのミニバス)でお金が渡せたとき、よっしゃー!てなる。今日はそうだった。
マタツだと、車掌がさりげないタイミングでお金を徴収し始めて、「え、みんないつ払ったん?」てくらい無音でやりとりがなされる。今日は、車掌につんつんとされて、ささっと金を払ってささっと釣りをもらうという一連の流れを無言で華麗に成し遂げることができて、ちょっとプロになれた気がした。今までで一番よかった。

農村にいくと、果物にせよ乗り物にせよ、値段はきちんと決まっていなくて、商品の状態や売り手の気分、買い手の懐具合によって微妙に変動する。そんなところで、How much?とか聞いてるうちは、アマチュアだと思っている。「私は相場知ってますよ」的な雰囲気で、予想よりも少し多めにお金渡して、「はい、おつりください」という顔で待つ。すると、だいたいちゃんと適正価格で釣銭が返ってくる。これがプロの道だと思っている。

もちろん少々ぼったくられることもありますが、若干上乗せしたぐらいのムズング(=外国人)価格なら良いかなと思う。

より多くを持つ者がより多く供給する、という「分配」のメカニズムは農村経済に息づいていて、これを「情の経済」と呼ぶらしいです。

2016年9月15日木曜日

アボカド

昨日のブログは真面目に書きました。
というかちょっとばかし落ち込んでいました。

気を取り直して、今日はしょうもないこと書きます。


私は基本的に、野菜が食べられません。アレルギーとかではなく、ただの好き嫌いです。特に、ピーマンをはじめとし、色が濃くて主張の激しい野菜は嫌いです。もやしとかキャベツ、白菜のような控えめなタイプなら好んで食べられます。

そんな私がケニアに来て克服した野菜がアボカドです。以前ナイロビに他の日本人と滞在していたとき、アボカドに醤油をかける、という食べ方があることを知りました。なんと美味しいこと!

アボカドって、好きになるまえは見向きもしなかったですが、好きになると、かなり高価なことに気がつきました。日本だと、ちっこいのでさえ100円前後しますよね?トマトも大学院に入って克服したんですが、これも実は結構高いですよね、驚きました。せっかく食べれる野菜が増えても、結局もやしとかキャベツが安いので、食生活に変化なしです。

アボカドに戻りますが、こっちでは季節にもよるみたいですが、今は1つ15円くらいです。
で、食べ方が少しぎょっとするんですが、私のお邪魔している家庭では、
一つ目に、ざく切りにして米と混ぜ合わせて食べる。食べ合わせは悪くないけど良くもない。
二つ目に、食後にスイカやバナナと並んで出てくる。まるでフルーツ。

私はアボカドそのものが好きってゆうか、アボカドに醤油をかけて食べるのが好きだなと思いました!

もうひとつ余談ですが、アボカドティーってのがあります。少し前に日本のダイエット番組かなにかで見たんですが、アボカドの種を切って(意外と切れるもんです)、湯で煮ると、お茶になります。そのテレビによると、アボカドティーは、消化にもお肌に良く、美容とダイエットに最適とのことでした。そこで、こっちのママにもアボカドティーのことを教えました。すると、ママがご近所さんにも教えたみたいで、すれ違いざまに、「アボカドティーいいわね、おかげで肌が良い感じよ」と近所のマダムに声をかけてもらえました。

お役に立てて良かったです。

結局、異文化交流のミソは、すでに生活の中にありながらも見えにくくなっている価値を発見することにあるのだと思います。

2016年9月14日水曜日

誰が支援を受けるのか

私はケニアが好きでケニアに来てるけど、
これまで、開発、支援、協力、そういった言葉で語られるものの多くを避けてきました。

なんで、その村なのか?
「HIV陽性者が最も多い村だから」

開発とか、支援とか、協力とか、そういった分野では、こういうことがよくある。

一つ目に、分かりやすい、ラベリング。
二つ目に、「最も」どうであるか、ということ。

一つ目、ラベリングについて。
例えば、「HIV陽性者」、「孤児」、「難民」、「障害者」、「少数民族」、などなど。
こんなラベルを貼っつけたような分かりやすい「脆弱性」。だけど、彼らの抱える困難はラベルを張ってカテゴライズできるものではなく、もっともっと個別具体的で質的。そして、ラベルのない「ただの貧しい人」が、たくさんいるのに忘れてしまう。

二つ目、「最も」どうであるかについて。
例えば、HIV陽性者が「最も多い」村だから。じゃあ2番目に多い村は?3番目に多い村は?ということになる。
「最も多い」村を選択し、そして介入することによって、新たに不公平が生じる。効率性が重視されると、やっぱり見えなくなるものがある。


「困っている人」を分かりやすく発見しドナーにアピールしなきゃいけない援助の現場では、支援する対象者が、「選ばれる」。そして支援の実現可能性が問われる。だけど、実現可能性がある時点で、その場所は既にある程度しんどくない。


必要性は、分からないわけじゃない。
援助や支援は、すでに市場経済の一部になっているし、今さらこれらの全てを批判しても仕方がない。

なんかでも、やってることと考えてきたことが矛盾しすぎてる気がする。

プロポーザルを書くこと自体の是非は、考えると終わらなくなると思うので保留している。
でも、開発、という介入に伴う暴力性とか、もっとマクロに俯瞰したときに見えうる問題点を、見ないようにしているだけで、なんか結局矛盾だらけな気がする。

机上で考えて批判するだけではなく、自分でやって批判するという点で、意味はあると思うけど、
なんともいえない微妙な感情がある。

2016年9月13日火曜日

アルフォート

アルフォートって美味しいですよね、なんか思い出すと無性に食べたくなってきました。
私は、ウガリ含めこっちの食事が結構好きなので、日本食が恋しくてたまらないことはないですが、やっぱり日本のお菓子は恋しくなります。日本のお菓子は、どの国のよりも繊細で美味しいと思う。

ところで昨日は、ケニアは祝日でした。イスラム教の犠牲祭です。
なのでADEOオフィスもお休みでした。学校も。
朝8時ごろには、結構な人数の子どもたちが、間違えて登校して、帰宅しているのを見ました。
ムスリムでない人にとって、祝日かどうかを知るには、ある程度のリテラシーが求められるんですね。
カレンダーとか、新聞とか、テレビとか、そういった情報源が無いと分からないことなんだな、と思いました。

そして今日は、急にボスにスイッチがはいったみたいで、
テキパキと仕事をこなして、
今後の私のスケジュールまで週単位で考えてくれました。
あと危機管理とかにも気を使ってくれました。
ここへきて初めてボスっぽい感じでした。

そして今日は初めてブシアのスタッフ4人全員がオフィスに出勤していました。

うん、なんか見通しがたってきた感じがする!

と、なんだか、とりとめのない更新になりましたが以上です。

2016年9月10日土曜日

ホタル

ケニアってホタルいるんですよね、知ってました?
というか私も、昨晩初めて見ました。

あの光の色と点滅、まさか、ホタル?
と思って、驚いて凝視していると、
「ミク、初めて見たの?それ虫だよ。夜になるとよくいるよ~」と言われました。

何に驚いたかって、
ホタルがケニアにいることよりも、
ホタルってキレイなとこにしか生息できないんじゃなかったけ!?ということ。

私の地元は、かなり田舎で、田舎あるあるかもしれないですが、自慢できることといったら豊かな自然とホタルです。ホタル祭りというのも開催されていて、初夏の風物詩となっています。

ホタルはキレイな川にしか生息しません、なのでキレイな自然を守りましょう、的な理解だったんですが、

私がケニアで見たのは、川(しかもドブ色の汚い川)からは3kmくらい離れた道路沿いの草むらで、さらにゴミのポイ捨ても激しいところ。
日本のと違って、点滅の仕方も荒く、品がない感じでした。これみて涼もうという気持ちにはならない。
ちょっとショックでしたが、ホタルも、この地域に適応して、たくましく生きているんだなと思いました。

私も見習って、たくましく生きていきます。

2016年9月9日金曜日

オフィス内の「共生」

まず、どうでもいいことを2つ。

一つ目、
今日ようやく会えた4人目のスタッフが、思いのほかイケメンだったのでちょっとテンション上がりました(笑)

二つ目、
ブシアオフィスのボスは陽気な人で、妙なタイミングで歌ったり踊ったり笑ったりと落ち着きがありません。
今日は「笑うと若くなれるんだぜ!!」と言って大声で笑っていました。
そんな陽気な彼の言動もですが、他のスタッフが彼を完全に無視して真顔なのが余計に面白いです。


そんな今日は、ドナーにレポートを提出する締め切り間近で、かなり真面目にお仕事をしてました。

昨日はムソマからオフィスに寄らずに帰ったんですが、なんとボスともう一人のスタッフが22時まで残業してたとのこと。にわかには信じられない。でも、かなり眠そうなので本当なんだと思いました。
そもそも残業に追われたのは、データの収集が遅れたからで、それなら先週のオフィスが停電してたときにデータ集めに行っとけば良かったのに、と思いましたが。

締切間近といえど、容赦なく停電が襲ってきます。
先週ほど長時間の停電はないですが、停電したり戻ったりの繰り返し。
オフィスに一つあるパソコンはデスクトップなので、停電のたびに作業中断。
停電すると、「ピーーーー!」と電子音がなるんですが、
音とともに一瞬みんなが息をのむ。(私はここでつい笑ってしまう)
「へ~い、これがケニアさ」とスタッフ落胆。

調和がとれてるな~と思うのは、
誰かがイライラすると、誰かが冗談を言って和ます、というところ。
誰かがだらけてると、誰かが頑張っている、というところ。
役回りが固定化してるわけでなくて、誰もがどの役割にもなってるところがすごい。
まあもちろん個々の性格もあるんだけど。
完璧じゃないことを容認し合っていて、もちつもたれつ。
これ「共生」の一つの形なんじゃないかと思う。

ちなみに私の大学での所属は「共生」とご縁があって、「共生」社会ってどうやったら実現できるのか、とか、そもそも「共生」ってどういう状態なのか、そういうことを議論したり考えたりする機会が多いです。

なのでそんな切り口からも今回の研修を位置づけることができたら良いな~と思っています。

2016年9月8日木曜日

ムソマ、感想

今日は、結核プロジェクトのフィールドめぐりの最後の日だったんですが、急きょムソマという村に行くことに。
ムソマ村は、ADEOと10数年?協力関係にある村です。

ムソマ村では、HIV関連の死亡に伴う孤児が多く、村内の人びとで協力し合いながら、この孤児らを支援する自助グループが組織されています。
この自助グループに、日本からADEOを通して支援が届いているという関係。
ただし、現在は支援の多くが滞っている状況。

今日は、このムソマに急きょ、しかも私ひとりで行くことになりました。

今日はとりあえず自助グループの人たちから話を聞いて、村内の家を何軒か訪問してHIV陽性者の方と話しました。

村内を練り歩いて家を訪問して話を聞く、ということは別の村でもやったことがあるんですが、ムソマで驚いたのは、話慣れしているということ。

私がこれまで調査に行った村では、1回目の訪問時には、私も相手も緊張していて一問一答だったり、あんまり立ち入ったことは聞けない感じなんですが、ムソマでは、私が質問をするよりも前に、一定程度の情報をざーっと話してくれる。

外国人が来れば支援が届くという期待が、最近連続して裏切られてきた、という不満を訴える一方で、
外国人はただここに来て何かを約束してくれるけど守ってはくれない、という諦めも垣間見えた。

「援助漬け」というよりは、もっと「したたか」な印象を受けました。
「本当に支援がほしい」という苦しさよりも、「本当に支援がほしいという苦しさ」を演じている、という印象。
演じながら、腹の中では、ちょっと来ただけの外国人には期待していない、という感じがしました。

まあ、それはそうだろうな、と思います。
まだまだ私も1回目なので、いろいろ見えていません。

ともあれ、ADEOとムソマ村のコミュニケーションがちゃんと取れていないのは何故?
ムソマ村に拘っているのは、ADEOというよりも日本人なのかな、と思いまいた。

今日のところは以上です。
また来週からムソマには足を運びたいと思う。

2016年9月6日火曜日

バイクで田舎

関係ないですが、「田舎」って漢字、かなり日本的だな、と思います。
「農村」とか「漁村」も。これだから、Ruralの邦訳が難しいのです。
牧畜民の暮らす「田舎」は、なんて訳せば適切なんですかね?

なにはともあれ、今日から3日間、結核プロジェクトのデータを収集するために、ブシア県内のいろいろな地域の病院をめぐります。

田舎ではモーターバイクで移動することが多いのですが、今日は8時間くらいずっとバイクに乗っていました。

運転してるスタッフは、ラフロードなので大変そうですが、乗ってるだけの私は、ただただ快適でした。

私が今住んでるところも、田舎だと思ってたけど、やっぱり本気の田舎はもっと本気で田舎でした。
そしてバイクですら行けれないようなところに、もっともっと本気の田舎があるんだろうと思います。

もちろん生活は楽ではないだろうけど、家の木陰に椅子出してのんびりしてる人たちを見かけると、外聞や貯蓄など妙に気にすることなく、ああゆう田舎で暮らしたいな、という気分になります。

どんな田舎でも、学校は至るところにありました。
初等学校(小1~中2)はもちろん多いですが、中等学校(中3~高3)も思った以上に多かった。
政府は今、全ての小学校の近隣に中等学校を建設するよう政策を進めていますが、初等学校と併設している新しそうな中等学校が随分ありました。
そして、大学も。かなりの奥地で、ナイロビ大学の文字を見たときは本当に驚きました。こんなとこにナイロビ大学が!!もちろんブランチキャンパスですが、やっぱり教育機会の普及っぷりは半端ではないです。


明日も早起きです。

2016年9月3日土曜日

ママの服

今日は、こっちでお世話になっているママがプレゼントしてくれたワンピースを着て出歩きました。

たぶんこのブログにも今後「ママ」が登場します。
ママは、私が学部のころに知り合った友達のお母さん。いつもケニアに来るたびに娘のようによくしてくれます。
ちなみに「ママ」はスワヒリ語で「お母さん」。「お父さん」は「ババ」だけど、「おばあさん」は「ビビ」。お姉さんは「ダダ」で、お兄さんは「カカ」。ややこしいですね。

そんなわけで今回もママにはとてもお世話になっていて、夜ご飯もママの家で食べさせてもらっています。
ママは、服を作ったり修理したりと、仕立屋さんの仕事をしています。

日本では黒とか紺の地味な色の服を着ることが多い私ですが、こっちの女性は、赤!!!に黄色の花!!!!とか、緑!!!!!に青の何か!!!!!!と、とにかく原色を用いた派手な色の服を着ています。

私がもらった服も、青!!!!に黒の花!とピンク!!!!に青の何か!の2着。
ちなみに好きな色聞かれて、青って答えたので、どちらにも青を入れてくれたのです。
お仕事が忙しい中、わざわざ素敵な服を作ってくれて、とてもとても嬉しかったです。
ただ、この派手な色が着こなせるのか、という問題。

ちょっと気恥ずかしいんですが、今日は、青!!!!に黒の花!を着ました。
鏡を見て分かります。明らかに服に着られている…。これ、、似合って、、ないよな、、、着るのやめようかな、でもせっかく貰ったしな、、、という感じで、

ともあれ、この格好でママの家に行くと、ママは「素敵よ」とほめてくれた。
そして、これまたいつもお世話になってる近所のマダムが遊びに来て、

マダム「あっら~ミク、その服すてきね!!どこで買ったの?キスム?ナイロビ??」
私(照れながら)「ママが・・・」
マダム「ママが!作ったの!!あっら~本当に素敵よ~~~」と言いながらママをつつく
ママ(照れながら)「ありがとう」
マダム「ミク!ちゃんと立って、よく見せて!(よく見る)あ~本当に素敵ね。」

うん、そうだ、服は素敵なんだ、積極的に着よう、そう思いました。
似合ってるかどうかは気にしないのです。

2016年9月2日金曜日

オフィスの電気と仕事のスイッチ

フィールドオフィスの初週が終わりました。
なんと!今週毎日、オフィスアワーに停電が起こっております。
謎なんですが、ちょうど朝8時とか9時から停電が始まって、18時とか19時に復旧します。

とにかく今のところ、ほとんど毎日、停電しています。
おかげで、もはやスタッフが全然来ていません。
ボスは毎日来てるんですが、「あ~今日も停電か」と言いながら、だらだらしています。
だらだらし続けて、昼ぐらいにオフィス閉めて帰宅。。

初日は停電を楽しんでるというか、むしろ停電にかこつけて仕事をサボってる感じでした。
そして一言、「No power, no work.」。
電気がないからすることない、って意味で言っています。
それよりも文字どおり、やる気がないから仕事がないんだよ、て心の中で思います。

しかし、自家発電はあります。

田舎での停電は日常茶飯事ですが、そういったときのために、病院とかホテルとか、ある程度の施設では、ジェネレーターという自家発電装置のようなものを持っています。

ADEOにもジェネレーターはあるんだけど、そのへんに投げたまま。

電気がないから暇だなあ~。は~あ退屈だなあ~。

てボスがぼやいてるから、ジェネレーター使ったら?と言います。
すると「燃料が高いからダメだな。1リットルで20分しか動かないんだぜ!」とのこと。

おかげでパソコンのトレーニングに来ている若者も、することがなくておしゃべり。
「彼らはすぐ来るのをやめちゃうんだ、だって電気がいつ来るか分からないから」とスタッフもぼやく。

ううう~ん。ここは、ナイロビではなくてフィールドオフィスで、
プロジェクトベースでお金が動いているNGOで、
運営費は節約しなきゃいけない、のかもしれない。

だけど困難とか問題とかは、どんな仕事だってあるわけで。
NGOの性質(ファンドがないと動けない)を理由に困難を解決する努力をしないのは駄目じゃないか。

というのが初週の感想です。

2016年8月31日水曜日

あくび

どうでもいいことですが、
こっちで、あくびをすると、
「おなか減ったの?」て聞かれます。

あくびは空腹のサインだってゆわれます。
日本では眠いときとか退屈なときのサインだってゆうと驚かれます。

なんか、あくびは眠いから出るもんだって、疑いもせずに思ってるからこそ、
あくびをすると眠い気がするのかもしれない。

うまくいかないこともいっぱいありますが、元気です。

2016年8月30日火曜日

ブシアオフィスのプロジェクトとブシア研修の目標

ブシアオフィスでの日々が始まりました。

まず、オフィスでの現在のプロジェクトは一つ。
結核、です。
結核は、マラリアとHIV/AIDSと肩を並べて三大感染症とよばれるものの一つ。

期間は2016年3月から2017年12月まで。
プロジェクトの内容は、結核患者を発見し治療を追跡するというもの。

ケニアでは、結核に感染しているかどうかの検査と、治療に必要な薬が、政府によって無料で提供されているとのこと。
ただし、病院などに来るための費用が賄えない事例も多く、治療と患者を結ぶ役割をしているのが、コミュニティヘルスボランティアと呼ばれる人たちで、ADEOはこの人たちを監督・支援しています。

そんなわけで、ボランティアが収集したデータを、管理したりするのがADEOの役目。今のところ日中ずっと停電してて、みんな暇そう。で、特に何もしてない。まだ届いてるデータが少ない、とのこと。
これまで5人いたスタッフのうち1人が辞めたらしいんですが、「暇だから4人で十分」という感じ。

こんな、のんびりオフィスなので、研修生の私ができることは、探さないかぎり降ってきたり湧いてきたりしないみたいです。ただ、今回、私が研修生としてオフィスに来て、明確に「これをやれ!」と言われたことは、1つだけ。

ドナーから資金を得るためのプロポーザルの作成。

どこまで出来るか分かりませんが、プロポーザルの作成と提出を最終目標に据え、奮闘したいと思います。

2016年8月28日日曜日

明日からブシア研修

今日の昼過ぎに到着しました、ブシア。
まずは、徒歩圏内でいろいろと挨拶回り。

ここでのまず私のメリットは、やっぱり訪問の回数、だと思う。
よく言われることですが、「1回行くのは誰でもやってる。2回目、3回目と繰り返すことで信頼関係は変わる」。私の場合、これまで1回の滞在は1か月前後と短いので、なおさらな気がする。人ってやっぱり相対的なもので、会うたびに変わる人って結構いる。最初は、すごい苦手だよこの人、顔こわいよ~なんて思ってた人が、2回目行くと、全然違う人のことがある。あ、2回目来た価値あったな、って思う。

そんなわけで、ADEOに関わるのは今回で初めてですが、ADEO以外のブシア内の人とつながりがあるのも、私の強みだと思うわけです。半年前にブシアに来たとき、「次来るときは、ADEOってところで働くかも」と話すと、ADEOの悪口なんかも聞いたりした。「あそこは最近よくないわ!スタッフがお金に誠実じゃないの!」と怒っていた人がいた。もちろん噂なので真意は謎。ただここの人たちの噂は結構具体的で、例えば「ユースにお金を支払うときにサインさせる紙面の額と、実際に渡すお金の額が違うらしい」と教えてもらった。

一方で、「俺ADEOでパソコンのトレーニング受けたよ」という高卒の人も。そして数年遅れたけど、その後大学に進学してるとのこと。

明日から自分の経験として、いろいろ学べたらと思います。

今さらですが、ナイロビ研修の振り返り

ブシア到着しました。今回は真面目なこと書きます。

今さらですが、ナイロビ研修を振り返って感じたことです。
長いです。

ADEOのオフィスでいろいろと話を聞きながら、私が単純に興味を持った2点。
①なぜ難民支援は終わったのか、②なぜ規模の大きなNGOが有利なのか。

①まず、難民支援について。ADEOのEは、EmergencyのEで、緊急人道支援とか、いわゆる難民ものの支援が始まりだった、と理解しています。それが今では、難民の支援はしておらず、もっぱら保健医療分野が中心です。

ナイロビオフィスの人に、なぜ難民支援が終わったのかを質問。シンプルな答え、資金がないから。

じゃあ、なぜ資金が得られないか。

第一に、「国連は、シリア難民のような新しいものを支援するのが好き」とのこと。ソマリア難民は古いし、(南)スーダン難民もシリア難民に比べると注意が払われていないとのこと。

第二に、ドナーの関心が薄れている状況の中で、「アメリカやイギリスの自分たちで資金を持ってるようなNGOと競争することなんか不可能だ」ということ。

確かに、ソマリア難民のような長期にわたって難民状態が続く人たちは、忘れられやすい。
てかアフリカは基本的にどんな問題も忘れられやすい。

だけど、アフリカの長期滞留難民は、第三国定住を選択する人は少なく、多くが、本国への帰還、または、一次避難国での定住を選ぶ。そりゃ第三国定住なら、イギリスやアメリカなどの再定住先のNGOが支援すると効率が良さそうな気もするけど、たとえばケニアのような一次避難国で定住するなら、ケニアのローカルなNGOの方がニーズに即した支援ができるように思う。

それでも、国際NGOが有利になっちゃう理由。これは財務担当の方からの指摘だけど、ドナーから資金を得るのは、競争で一番重要なことは、キャパシティ。例えば、資金をちゃんと使う透明性が確保されているかの証明や、どういった活動がここで可能か、ということ。これをやれ、と言われてはじめて方法を探しているようでは競争には勝てない。既に持っていないと。その地域に全くNGOがなければ、ローカルなNGOでも勝てるけど、たくさんNGOがあるなら大きなものが勝つ、と話した。

驚いたのは、ナイロビオフィスで資金繰りの困難に見舞われる主要な要因が、運営費(administrative cost)で、特に大きな出費である賃貸料が、月に92,000Kshということ。普通に大阪の私んちの家賃より倍くらい高い。

ナイロビの地価が上がっていることに加えて、ADEOが事務所を構えるのは、特にハイステータスな道路。こんな高価でも立地の良さを優先せざるを得ないのは、これまたドナーのため。安いところに移動してしまえば、ドナーが私たちにアクセスしてくれない、とのこと。まあ確かにそうだなと思う。私だって、ADEOのオフィスが治安の悪いところにあったら行けてない。

財務担当の人は、「It’s like a selling products.」とNGOの資金獲得について表現した。
うーん、もちろん競争って良い面もあると思うよ。でもさ、小さい組織の強みが奪われるような競争は、ないほうが良いと思ってしまう。
援助の現場にすら働く市場原理が、結局のところ効果的な援助を阻んでいるような気がしてならない。

そして、現在のようなプロジェクトが少ない時期は、スタッフも減らす必要に迫られていて、ファンドが取れるかどうかは、NGOの支援を待つフィールドの人びとだけでなく、NGOで働く人たちにとっても死活問題なのだと感じた。

国際NGOはファンドを取りやすくて、ローカルNGOが動きやすいのであれば、そこ協力すれば良いんじゃないかと単純に思うけど、スタッフにこう言うと、なかなか難しいのよ、と返された。国際NGOのことも勉強しないと分からないな、と思った。

今日は少し難しいこと書きました、以上です。

2016年8月27日土曜日

キスムからブシアへ

昨晩キスムに到着し、今日はキスムで買い物などしました。

ドコモショップでシムフリーにしてもらったスマホに、こっちのシムを入れてたんですが、電話は出来るのにネットワークが機能しない状況に陥っていました。ADEOオフィスのスタッフにもいろいろみてもらったんですが、なぜかうまくいかず。
が、今日、キスムのケータイショップで見てもらったら、なんらかの設定を変えてくれて、魔法がかかったように使えるようになりました。やっぱり分からないことは専門家に聞くのが早いですね!
というわけで、少なくともケータイのネット使えそうです。

明日はついにブシアです。ご縁あってブシアに行くのも、これで4回目。
ブシアはケニアのなかでもマイナーな小さいところですが、大学でさんざんブシアブシア言ってると、事務の人にまでブシアが定着。
危機管理上、事務に渡航届を毎回提出するんですが、初めてのときは、「え、ケニア行くんですか。ブシア?ナイロビから遠いの?危険度いくつなの?どうやって行くの?」という感じでしたが、今では、「あ、小川さんブシアですね、はいはい~」て感じです。

ブシアは、ナイロビからは遠く離れて、隣の国のウガンダと国境を接しているところです。
ウガンダは、「アフリカの真珠」とよばれるほど、土地が豊かな国。ブシアでは、そのウガンダから輸入される果物が最高においしいです。はじけるような色をしたスイカやパイナップルは、ナイロビとは、えらい違いです。バナナという果物界随一の庶民でさえ、なんともいえない甘さを誇ります。あとは、ジャックフルーツとかパパイヤとか、マンゴー、オレンジなどがよく食べられています。

そんなわけで明日はブシア。半年ぶりです。楽しみです。

2016年8月25日木曜日

首都から田舎への移動

安倍総理がナイロビ入りしたみたいですね!ADEOの代表に、「いや~総理が来るのは知らなかったよ」と話すと、「来るだろそりゃ。なんのためにアフリカ各国のリーダーがナイロビに集まってると思うんだ、シンゾーアベに会うためだよ!」と返されました。安倍総理の政策如何はおいといて、しばらくぶりに同じ人が総理大臣を比較的長期でやってるのは、外交上は安定して良いと思います。

ところで、今日でナイロビ事務所での勉強はひとまず終わりです。
ナイロビ事務所では、初めてNGOという組織を内部から勉強する機会をもらいました。

財政上のこととかも簡単に教えてもらってるけど、普通は、そんなの無理だと思う。これまでも調査の関係で、ケニアのいろんなところで格闘したけど、お金のこととか、やっぱり学生風情では、簡単に教えてもらえるものではない。アデオジャパンとADEOのつながりがあるからこその学びの機会に感謝です。

大雑把な感想ですが、NGOって難しいんだな、て思います。ケニアの学校教育みてると、とことん市場原理だな~と思ったりしますが、NGOも同じように、生き残りをかけて競争、競争、競争。でもって毎度のこと、競争はフェアじゃない。

まだまだ全体像はよくわかっていないものの、日程も限られていて、明日からは農村です。
キスムという地方都市を経由して、ブシアという地域を目指します。ブシアに行くのは楽しみ。

今は毎日ブログが更新できているけど、ナイロビを離れるとネットの関係で難しくなると思います。
農村では、Wifiはないので、ケータイのネットワークをキャッチしてパソコンでネットを使えるようにするんですが、今のとこ、一度もちゃんとキャッチできていません。。原因は分からない~。

2016年8月22日月曜日

研修初日

今日はのんびりしました。
スタッフの人と挨拶して、チャイもらって、いろいろ教えてもらって、ごはん食べに行って、という感じです。

お土産として日本のお菓子をいくつかあげたんですが、なかでも甘納豆が話題になっていました。
甘納豆をケニアに持ってったのは初めてですが、ケニアでは豆は日常的に食べられているし、「マハラグエ」というスワヒリ語は、「豆」を意味すると同時に、「煮豆」という料理名も意味するほどです。甘納豆は、豆に砂糖をつけたものだと説明しました。
オフィスの人は、「おいおいマハラグエに砂糖だってwwまじかww」といった口調で言い合っていました。きっとこれは、日本人がアメリカでは緑茶が砂糖入りで売られているのを知るときの衝撃と近いのでしょう(ケニアの人だってウーロン茶にたっぷり砂糖いれてた)。「砂糖」も「豆」も好きだからといって、それを組み合わせるかどうかはまた別問題。国や地域で全然ちがうんだな~と改めて。

甘納豆、まだあと2袋あるので、他のひとで試してみます。

2016年8月21日日曜日

ズートピアと不毛地帯

ナイロビ到着です、涼しくて良いですね。
TICADという会議が週末あるので空港で日本人をたくさん見かけました。

飛行機では念願のズートピアがみれました。が、期待しすぎたわりには、あれ?て感じだった。
ユーモア効いてておもしろいし、うまく現実にある人間世界の問題が風刺されてるんだけどさ、「うん、そこまでは分かるんだよ」と思いました。

それより、家を出る直前に読み終わった『不毛地帯』は良かった。読み応えがあった。もう10年後にでも再び読みたい。

ところでケニアと日本の時差は日本-6時間。日本では遅寝遅起きという、ぐうたらっぷりですが、ケニアへ来ると時差が良い感じに私を早寝早起きへと変えてゆきます。

明日からさっそく研修開始です。泊まってるとこから徒歩3分の事務所。みんなケニア人、たぶん。
初めて行くので緊張ものです。

2016年8月20日土曜日

今回ケニアですること

昨日書いたとおり、ADEOというNGOでのインターンをすることになります。
インターンというのは、中学校でいう職場体験のようなものでしょうか。「働く」ということを経験する、ということです。

私は、大学4年生までは社会系教科(※公民とか歴史とか)を対象とした教育学などを勉強しており、大学5年生からはアフリカの中等教育(※日本でいう中学校と高校)に関する研究をしています。
なので、今回のNGOが専門としている医療分野に関してはほとんど知識がない。とりあえず論文は読んでみましたが、知らない単語も多く、辞書が手放せない。。。

こんな状態で何ができるかは分からないですが、とにかく挑むのみです。


早速ですが今晩、関西空港を出発します、次の更新はケニアにて。

飛行機では、「ズートピア」が見たい。「シン・ゴジラ」も見たい。

2016年8月19日金曜日

ケニアへの渡航

ケニアはアフリカ大陸の東側にある赤道直下の国。時期や地域にもよりますが、日本の蒸されるような夏よりは涼しいです。

はじめて、ケニアに来たのは大学2年生のときでした。それから、いつのまにか今回は6回目。ひとりで行く、というとビックリされることが多いですが、あっちにはケニア人の知り合いがいるので、ひとりで行くという感覚とは少しちがう。

いつもは学校や家を訪問して、同世代ぐらいの人に話を聞いたりしています。
今回は、「ADEO」という保健医療分野を中心に活動しているNGOでインターンをします。NGOというのは、社会をより良くしていくことを目指して活動する、民間の団体です。

細かいことは、また更新します。

ちなみに今回は、せっかく長めに滞在できるので、ひとつでも多くのスワヒリ語(ケニアの国語)を覚えて帰ることを目標にしています。

2016年8月18日木曜日

ブログはじめました

はじめまして、恥ずかしながら縁あってブログという形でケニアでの研修と生活を記録することになりました。ネットが不安定なところに住むので、どのくらいの更新できるかは分かりませんが、できるかぎり向こうで感じたことや考えたことを書こうと思ってます。

私はいま大学院のD1です。といっても分かりにくいかもしれないですが、このあいだ、小学生に、「何年生なん?」て聞かれて、「大学7年生だよ」と答えました、そうゆうことです。ちなみに9年生が終わったら卒業します(希望)。

大学の7年生にもなると、ケニアで考えたことを表現する場所はとても限られてきます。でもこれを機会に、今回は私の中学時代の友達を読者に想定しながら、日々のことを書いていこうと思います!